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何レイヤーにも渡って色々なことを同時にあるいはランダムに考え続けている。
だから、答えの出ていない僕の現状を、 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」 と言いたいところだけど、 僕はウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』すら読んでいないから、 多分、これは正しい引用ではない。 引用、援用、乱用... @@@@ 多分、僕が今考えていることは、 弓道家の梅路見鸞の「美しい」という思いに対する追求と同じ種類のものかもしれない。 もちろん、そんな大袈裟なもんじゃないとは分かっているけど(笑)、 ロマンチックなもんだから、そう思いたいのよね。 「今から25年も前のことだが、小金井に花見に行つたことがある。其時に満開の櫻を見て、噫美しいなァと感じた其刹那に、美しい、と感ずる心は何處にあるかと氣がついた。美しい … 美しい … と眞に感じ思ふ心をハッキリ自覚したい、美しい基本體を掴みたい、とそれから花見どころか、夜も昼も、美しい … 美しい … と口にも心にも叫び通し求め通した。君方は随分馬鹿氣た話だ、美しいのは美しいのぢやないかと思ふだらうが、俺は3年近くも苦しみ通したよ、そうして、美しいも、感ずる心も、それを求める心も皆一時に行方不明に消失して了うた、と同時に一切は悉く美しかつたよ。君方も眞に美しいか …… 此美しい精粹が即ち射だよ、幹も枝も花も不自然な處が一つもないよ、和らかな花弁にも鐵より堅い強さがあるよ、實に見盡せぬ美しさがあるよ。然し君方の射は、此美しい自然の櫻を、人工的に作らうと思つては居はせぬか、人の作つた櫻は天然の櫻とは比べものにはならぬよ、能く深く心内を省みるがよい、射を求めてはゐぬか、結果を求めてはゐぬか、無用な詮索をしてはゐぬか、絶えず射に依つて悟らうと云ふ希が働きはせぬか、それは俺が花の美しさを求めて詮索したのと同じものだよ、萬年弓を引いた處が其の境地より一歩も出ない、即ち眞の射行にはならぬよ、此處をよく解つて頂きたい」と老師は安らかに説示されて、“春宵一刻番茶一杯の価かハッハ … ”と大笑いされて去られた。 —『武禅』より抜粋
by smpinkd
| 2005-11-21 23:55
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